写真と温泉が好きな主婦が更新中~
のんびりとしたブログです。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
北海道フェアが開催されていて、以前にテレビ番組で、紹介されていた。
「よいとまけ」がありました。
ハスカップの実のジャムをロールケーキの中身と外側にふんだんに塗られており、
表面がオブラートに包まれ、そのまま食べられ、グラニュー糖がまぶされていました。
ハスカップのジャムは、思ったより、酸味もなく、ロールケーキのしっとりしたほどよい甘さが抜群☆
漁村だった苫小牧に、製紙工場が建設され、町には紙の原料となる丸太を工場で上げ下ろす 作業の際の「よいとォまいたァ、よいとォまいたァ」という勇ましいかけ声が、 一日中響いていました。 苫小牧特有の霧に包まれる中、朝から暗くなるまで声を合わせて・・・・。 戦後、初代社長の小林正俊は、苫小牧を代表する菓子づくりに取り組みました。 幼い頃から耳にした「よいとまけ」の掛け声、目にした丸太、 そして勇払原野に自生し苫小牧の人たちが好んで食べていたハスカップ。
欠かせないこの3っを盛り込み、1953年に誕生したのが「よいとまけ」です。
「よいとまけ」がありました。
ハスカップの実のジャムをロールケーキの中身と外側にふんだんに塗られており、
表面がオブラートに包まれ、そのまま食べられ、グラニュー糖がまぶされていました。
ハスカップのジャムは、思ったより、酸味もなく、ロールケーキのしっとりしたほどよい甘さが抜群☆
漁村だった苫小牧に、製紙工場が建設され、町には紙の原料となる丸太を工場で上げ下ろす 作業の際の「よいとォまいたァ、よいとォまいたァ」という勇ましいかけ声が、 一日中響いていました。 苫小牧特有の霧に包まれる中、朝から暗くなるまで声を合わせて・・・・。 戦後、初代社長の小林正俊は、苫小牧を代表する菓子づくりに取り組みました。 幼い頃から耳にした「よいとまけ」の掛け声、目にした丸太、 そして勇払原野に自生し苫小牧の人たちが好んで食べていたハスカップ。
欠かせないこの3っを盛り込み、1953年に誕生したのが「よいとまけ」です。